ケサディージャについて
拝啓、日本の皆さまいかがお過ごしでせうか?メキシコに住んでる城太郎です。
今回はQuesadilla(ケサディージャ)って言うメキシコの食べ物について書いてみます。
城太郎はメキシコに永住者として定住している状況下ですから日本の事に関しては浦島太郎さん的な感じに成っちゃって良く知らないんです。
いつ頃から日本にタコスというメキシカンフーズが紹介されたのかと言う事は城太郎は浦島太郎さん状態だから良く知らないんです。
ニューヨークのタコベルが日本に進出したらしいんですけどそれからタコスと言う食べ物が日本の人に広く知られるように成って認知されるように成ったのではないか?🤔って城太郎は思うんです。
城太郎は日本のタコベルでタコスを食べた事は無いんですけどもニューヨークの14番街のタコベルのタコスは小麦粉から作ったトルティージャを使ってましたから日本のタコベルがニューヨークスタイルだと仮定しますとメキシコのタコスとは少し違うと思うんです。
↑このお姉さんが食べてるタコスのトルティージャは玉蜀黍から作ったトルティージャです。
Arina(アリーナ👉小麦粉)から作ったトルティージャは色が白いんですけど玉蜀黍から作ったトルティージャは黄色っぽい色をしてます。
メキシコ人が食べるタコスは玉蜀黍(とうもろこし)から作ったトルティージャを使ってますからもっと濃い味なんです。
まあニューヨークタイプのライトスタイルのタコスだとしても城太郎は日本でもタコスと言う食べ物がかなり認知されて来たと言う気がするんです。
城太郎にとっては日本は生まれた祖国でメキシコが今の祖国なんです。
城太郎はメキシコにずっと住んでメキシコで死ぬ訳ですから今の城太郎にとってはメキシコがPatria(祖国)なんです。
城太郎はバイクのメカにはけっこう詳しいんですけどパソコンだとか携帯電話と言う物が苦手なじじいでしたから長い間インターネットと言う物が出来なかったんです。
今を去ること6年前の2018年に城太郎は遂に一念発起してパソコンをマステルしたんです。
それで日本の事を色々と知りたくてパソコンで観てましたら日本でタコスだとかブリトーなんかを売ってるお店があって地方の都市にまでメキシカンレストランとかタコバーみたいな所が出来てると言う事を知ったんです。
メキシコ料理&飲み屋(?)みたいなお店でコロナビールとかテカテとかビクトリアなんかのcerveza mexicana(セルベーサ・メヒカーナ)を出して乾き物のツマミとしてナチョスとかを出すお店があると言う事を城太郎は知ったんです。
それで色々と城太郎は日本のタコス状況をネットで見てたんですけどケサディージャは日本ではまだあまり知られてないみたいなのでケサディージャが好きな城太郎がブログに書いてみる事にしたんです。
メキシコのタコスは玉蜀黍(とうもろこし🌽)から作ったトルティージャを使ったオーセンティックスタイルのメキシカンタコスなんです。
このタコスはメキシコ人は子どもの頃から食べてますからそう言う味覚にアジャストしてるんですけど玉蜀黍のトルティージャを使った本場のタコスを食べた事がない外国人には(個人差はありますけど)カビ臭い味がして吐きそうに成ってしまうような味なんです。
だからメキシコのオーセンティックなタコスは味を受け入れて美味しいと感じるまで時間が掛かるんです。
アジアのエスニック料理とかを色々食べたりして味覚のストライクゾーンが広い人だとまた違うんでしょうけど日本食以外の洋食はデニーズのハンバーグライスと喫茶店のスパゲティナポリタンくらいしか食べないようなストライクゾーンが狭い人はスペインのパエージャも不味くて食べられないしメキシコのタコスも駄目だと思うんです。
Quesadilla(ケサディージャ)って言うのはトルティージャを油で揚げたり鉄板で焼いたりした物の中にタコスの中に入れるおかずを挟んだ物なんです。
つまり『揚げタコス』とか『焼きタコス』みたいな感じの物なんです。
玉蜀黍のトルティージャを油で揚げたり鉄板で焼く事に拠ってタコスのカビ臭さが無くなるんです。
これは初めて食べる旅行者の人にも合う味だと城太郎は思うんです。
城太郎が初めてメキシコに来たばかりの頃なんですけどタコスを初めて食べた時に今まで経験した事が無いカビ臭い感じの味に城太郎は吐きそうに成っちゃったんです。
城太郎は食べ物を作ってくれた人への礼儀と言う事の他に食べ物を粗末にする事は良くないと言う気持ちを持ってるので出された食べ物は残さないで食べると言う自分なりの決め事を昔から持ってるんです。
アフリカとかの貧しい国で食べ物がなくて死んでる子どもたちが居る訳ですから城太郎が食べ物を粗末にしたらその人たちの命に対しても失礼な事だと思うんです。
それで城太郎はコーラで流し込んで出された6枚のタコスを何とか食べたんですけどけっこうキツかったんです。
今では城太郎もタコスを食べるんですけど最初の内は駄目だったんです。
ケサディージャの場合はエルミータのビリヤード場だったかナティビダスのビリヤード場だったか忘れちゃったんですけど城太郎と勝負して1勝1敗だったんですけどゲームしたあとに仲良く成った対戦相手の中学校だか小学校の体育教師のロベルトって言う若者が「ケサディージャ食べた事あるかい?」って訊いて来たから「まだ食べた事がない」って城太郎が言ったらその若者が奢ってくれたんです。
タコスのカビ臭さがなくて外の皮がパリパリしていて中のじゃがいもとチレが美味しくて(美味いなコレは🤔)って城太郎は思ったんです。
「どうだ?どう思う?」って訊かれたから「コレ美味いなあ」って言ったらあと2つケサディージャを奢ってくれたんです。
城太郎はケサディージャがビールに合うと思ったからお返しにビールは城太郎が払う事にしてロベルトの分と城太郎の分と2本ビールを買って2人でケサディージャをツマミにしてビールを飲んだんです。
サンドイッチみたいな軽食のご飯としても美味しいんですけどケサディージャのパリッとした食感がビールのツマミにも成るんです。
城太郎はビールのツマミにケサディージャを食べる時はpapas con lajas chileってスペイン語で言うんですけどケサディージャの中のおかずをじゃがいもを擂りつぶした物とハラペーニョのチレをスライスして油で揚げた物にしてケサディージャの外側に塩を振って食べるんです。
タコスを食べる時は軽食として食べるから城太郎は中のおかずに肉類を入れたりするんですけどビールを飲む時にツマミとして食べるケサディージャの場合は肉を入れないでパパス(じゃがいも)とチレのおかずにして外の皮に塩を振って食べるんです。
メキシコ人は家で食べる時にはタコスもケサディージャも両方食べるんですけど家の外だとあまりタコスを食べないんです。
そもそもタコスの屋台と言う物が城太郎が住んでる町みたいな下町には無いんです。
全部ケサディージャの屋台なんです。
これは何故かと言うとタコスの方が割高に成るからなんです。
タコスは小さいから通常6枚くらい食べないとお腹が膨らまないんです。
城太郎が住んでる町にはタコスの屋台がないから良く判らないんですけど仮にタコスの屋台があったとしたら1枚10ペソくらいだと思うんです。
それを6枚食べたら60ペソなんです。
城太郎が住んでる町のケサディージャの値段が1個14ペソくらいなんですけどもケサディージャは大きさが大きいから2つ食べたらお腹が膨らむんです。
2つケサディージャを食べても28ペソなんです。
メキシコシティの屋台の件数を比べるとたぶんケサディージャの屋台が7割くらいでタコスの屋台が3割くらいだと城太郎は思うんです。
タコスの屋台は中流の地区のメトロの駅前とかソナ・ローサみたいな繁華街とかピラミッドとかがあって外国人観光客が来るような観光地とかにはあるんですけど貧しい庶民が住んでる下町にはタコスの屋台は無いんです。
ケサディージャ、美味しいです。
もしメキシコに旅行する事があったら騙されたと思って食べて見てください。
この女の子が食べてるのはケサディージャです。
このケサディージャは緑色をしてます。
これは何故かと言うと青い色の玉蜀黍があるそうなんですけど青い玉蜀黍から作ったトルティージャを使うと緑色のケサディージャに成るらしいんです。
安売り地区のテピートの屋台です。
ここもテピートの中にある屋台です。
城太郎の家の近所のケサディージャの屋台のお店です。
このお姉さんが作ってるのは普通の黄色い色のケサディージャです。
このお姉さんが作っているケサディージャは油で揚げるケサディージャです。
これも緑色のケサディージャです。
このお姉さんが作ってるのは鉄板で焼くケサディージャです。
このお姉さんが食べてるのはタコスです。
このお兄さんが食べてるのもタコスです。
タコスの屋台です。
タコスは小さいんです。このお店のタコスは大きい方です。
もっと小さいトルティージャを使ってるお店も多いです。
ケサディージャの屋台です。
城太郎が住んでる町の隣町のタコスの屋台です。
アンナ・ガブリエルさんの歌が好きです
好きなジャンルの歌について人に訊かれたら「泣ける歌です」って城太郎は答えるんです。
聴けば泣かされ、唄えば泣く...城太郎にとって歌とはそう言う物なんです。
城太郎はRequiem(レクイエム、鎮魂歌)だとかElegy(悲歌、哀歌)系統の歌が好きなんです。
スペイン語だとelegía(エレヒア)がエレジーの意味だそうです。
Amazing graceとかMinstrel boyみたいなスコットランド系のレクイエムが好きなんです。
Joe Strummer&Hans Zimmer版のミンストレル・ボーイが城太郎は好きなんです。
悲しげなバグパイプの音色にゆっくりしたリズムのドラムの音が軍靴の行進する足音を城太郎に連想させるんです。
泣きながら、心を引き千切るようにして絞り出すような歌い方の男声ボーカルが最高です。
ノルマンジーの海岸で猛烈な銃砲火の中をバグパイプを鳴らしながら果敢に突撃したイギリスのスコットランド連隊の人たちの姿が目に浮かんで来て泣けて来るんです。
頑固だけど素朴なスコットランドの農村の青年たちが国家の命令で銃を執って戦場に出征して多くの若者が異国の戦場に斃れて生きて再び故郷のスコットランドに還れなかったんです。
ボニー・タイラー姐さんの『ルイジアナ・レイン』とかフレディ・フェンダーさんの『涙のしずく』だとかジプシーキングの『カバージョ・ビエホ』とか竜鉄也さんの『奥飛騨慕情』とかそう言う系統の歌が城太郎は好きなんです。
つまり演歌とかカントゥリーが城太郎は好きなんです。
ENKAなんです。カントゥリーもフラメンコもファドもENKA(演歌)だと城太郎は思うんです。
若い人たちから見ると演歌とかカントゥリーなんかはダセえ田舎者の聴く歌かも知れないんですけど城太郎はカントゥリーとか演歌とかが好きなんです。
でも城太郎は色んなジャンルの音楽を聴く事は聴くんです。
カントゥリー、ブルーグラス、サザンロック、フラメンコ、フラメンコロック、クンビア、テクノクンビア、サルサ、バチャータ、レゲエ、レゲトン、TEX−MEX、コリード、コンフント、ジャズ、ブルース、トラディショナルフォークソング、フォルクローレ、ポップス、ユーロビート、テクノミュージック、ジャパニーズENKA、昭和歌謡、GSグループサウンド、ロックンロール、オールディーズなどのCDをたくさん持ってるんです。
クローンの海賊版CDは町の屋台で買っても1枚10ペソ(約60円)で安いんですけど城太郎は安売り地区のテピートでいつもCDとか音楽ビデオのDVDを買うんです。
テピートのCD/DVD屋台の人のシステムは1枚だけだと10ペソで町の屋台と同じ値段なんですけど10枚以上買うと枚数に応じて1枚毎の単価を安くしてくれるテピート値引き方式で最大で1枚単価が5ペソ(30円)まで下がるんです。
1枚30円のCDとかDVDの音楽ビデオを100枚買っても3000円なんです。
日本だとCDを1枚か安いCDだと2枚買う値段で100枚買えるんです。
しかも海賊版のクローンCDは80曲入りとか100曲入りだから1枚CDを買うと100曲聴く事が出来るんです。
城太郎は『ながら系』の人間だから何かの作業をしてる時には音楽が掛かってないと駄目なんです。
作業用BGMの場合はちゃんと聴いてなくて聴き流してるから色んなジャンルの音楽を掛けてるんです。
最近はレゲトンとかバチャータを城太郎は作業中に掛けて流しっ放しにしてるんです。
城太郎が本当に好きな歌は作業中には聴かないんです。
好きな歌は作業してない時に聴くんです。
城太郎は作業用BGMはチャカチャカした歌を聴くんですけど昼酒のビールを飲んだりお酒を飲む時はカントゥリーとかジャパニーズ演歌とかフラメンコとかのENKA系の歌を聴いてしんみりするんです。
『聴けば泣かされ歌えば泣く』と言うような歌が本当の歌(👉ソング)だと城太郎は思うんです。
コロンビアーナのシェキーラは城太郎も好きなんですけどシェキーラの歌じゃあ泣けないんです。
バッド・バニーとかの今のレゲトンもそうだし昔のボニーMとかバカラとかのディスコミュージックは踊る為のBGMだから音楽のミュージックだけど心に染みて泣かされる歌(ソング)じゃないと城太郎は思うんです。
若い時は城太郎もレコード屋さんに行ってディスコミュージックのレコードを買ってたんです。
若い時ならロックとかヘビメタとかヒップホップとかそう言う方向性に行くと城太郎は思うんですけど年を取ったら大抵の人は演歌に行くと思うんです。
演歌とかカントゥリーって言うのは庶民の人生や庶民の心を歌った物だと思うんです。
城太郎も今60歳を過ぎちゃったからじじいの方のグループに入った訳です。
自分が年を取ったから実感として判るんですけど若い時には未来の時間がたくさんあるんですけども例えば10歳くらいの時には10年しか人生を生きてない訳ですから想い出と言う物は少ないんです。
年を取った人はその逆で未来の時間は少ないけど生きて来た時間が長いから想い出が多いんです。
城太郎もそうなんですけど年を取っちゃうと大体自分のランクみたいな物が決まってしまいますからもう上に上がる事は普通はあまり無いんです。
ホリエモンさんとかソフトバンクの孫さんみたいにお金を稼いで成功する人とかエンゼルスの大谷翔平選手とかモトGPのマルク・マルケス選手とかテニスの大阪なおみさんみたいにスポーツの世界とかで成功する人はひと握りの人でその他大勢の僕たちは名も無い庶民の民草なんです。
でも...そんな庶民の僕たちにだって1人1人の人生の道があったんです。
だから年を取ると尚更みんな自分の人生を思い出して演歌やカントゥリーとかファドとかを酒場で聴いてしんみりするんだと城太郎は思うんです。
日本人は酒場で日本酒を飲みながら竜鉄也さんを聴いてアメリカ人はバーボンを飲みながらジョニー・キャッシュを聴いてしんみりすると思うんです。
スペイン語圏の歌手でスペイン語の歌を唄うENKA系の歌手で1人選ぶとしたら城太郎的にはアンナ・ガブリエル姐さんなんです。
たぶんアンナ・ガブリエルさんがラテンアメリカのナンバーワン歌手と言う事に大多数の人が賛成すると城太郎は思うんですけどアンナ・ガブリエルさんが1番だと城太郎は思うんです。
アンナ・ガブリエルさんはシナロア州の50世帯くらいしかいない小さな村の靴屋の娘だったんですけどボニー・タイラー系のハスキーボイスと圧倒的な声量でラテンアメリカ・ナンバーワン歌手に成ったんです。
アンナ・ガブリエルさんの歌はリリースした曲が全部ヒットしてますから外れの曲が無いんです。
逞(たくま)しく健気なメキシコ女の心意気を歌ったアンナ・ガブリエルさんの歌はどのアルバムのどの曲を聴いても外れがなくていい歌です。
アンナ・ガブリエルさんはリリースした歌が全部ヒットした凄い人なんです。
アンナ・ガブリエルさんの歌はジャンル的にはポップスなんですけど城太郎的にはENKAなんです。
城太郎はアンナ・ガブリエルさんのガチなファンですから『No te hago falta』とか『Lo sé』なんかが好きなんですけどアンナ・ガブリエルさんの歌を聴いた事がない人に城太郎がお勧めするとしたらアンナ・ガブリエル初心者向けの歌として『Simplemente amigos』 をお勧めします。
この歌から入って段々と濃い方向性に行くのがアンナ・ガブリエルさんのファンに成った人たちの一般的なルートみたいです。
城太郎の場合も1番最初に聴いたアンナ・ガブリエルさんの歌はSimplemente amigosでした。
アンナ・ガブリエルさんの歌を城太郎はアルヘンティナのブエノス・アイレスのビリヤード場でもコロンビアのボゴタやメデジンのビリヤード場でも聴きましたしスペインのバルセロナやマラガやバレンシアのバールでも聴きました。
スペインのビリヤード場は何でだか判らないんですけどBGMの音楽を掛けない所が多いんです。
だからスペインでは城太郎はビリヤード場じゃなくてバールでアンナ・ガブリエルさんの歌を聴いたんです。
今日は城太郎はアンナ・ガブリエルさんの80曲入りのDVDを観ながら昼酒のビールを飲みました。
日本の皆さま、ご自愛くださいませ
....かしこ
※写真はネットの人からお借りしました。
※YouTubeからアンナ・ガブリエルさんの歌をダウンロードしてブログに入れようと思ったんですけど城太郎は機械音痴のじじいだし、はてなブログさんのブログを始めたばかりでまだやり方が全然判らないのでビデオ動画を入れられませんでした。すみません。
興味がある方は自分でYouTubeで観てください。すみません。
ここから下の写真は今の太目に成ったアンナガブリエルさんです。
ファンの人のサインに応じるアンナ・ガブリエルさんです。
※写真はネットの人からお借りしました。
城太郎はMLBのユニフォームが好きなんです
城太郎は成人式にも出てないし就職して正社員のサラリーマンに成った経験がないからスーツと言う物に縁が無い人生だったんです。
20歳(ハタチ)代の時には遊び着でジャケットにスラックス&革靴みたいな格好をしたりした時もあるんですけどネクタイはしなかったから城太郎はネクタイさまの結び方を知らないんです。
2000年に城太郎のお父(おとう)の病気が悪く成ったので城太郎は奥さんのウメ星デンカさまと娘をメキシコに残して単身1時帰国したんです。
お父さんのお葬式に備えて慌てて京王デパートに行って城太郎は吊るしのスーツを買ったんです。
城太郎はお母さんと姉ちゃんと1緒にお父の入院先の病院に泊まり込みで詰めてたんですけども、お父(おとう)が死んでお葬式の時に城太郎はネクタイが締められないから姉ちゃんにネクタイをして貰ったんです。
今の城太郎はラフな格好しかしないからスーツもジャケットもスラックスも持ってないんです。
上の写真で城太郎が着てるのはレッドソックスのデビッド・オルティス選手のユニフォームです。ゼッケンは34番です。
城太郎はメジャーリーグベースボールが好きだからメジャーリーグベースボールのユニフォームを着てるんです。
前のブログに書いた安売り地区のテピートで城太郎はMLBのユニフォームを買ってるんです。
安売り地区のテピートのユニフォーム屋さんにはドジャースのフェルナンド・バレンスエラ投手とかホワイトソックスなどで活躍したエステバン・ロアイーサ投手とかヤンキースのA・ロッド選手とかカージナルスのマーク・マグワイアー選手なんかのメキシコ人に人気がある選手のユニフォームは始めから数を作っていてお店に展示している『吊るし』の既製品があるんですけど例えばボストン・レッドソックスのデイスケエ・マッツサカア(松坂大輔)投手のユニフォームとかアスレチックスのエリック・ソガード選手とかのユニフォームが欲しい場合は1品物のオーダーメイドに成るから少し値段が高く成っちゃうんです。
例えばレッドソックスの松坂大輔投手のユニフォームの場合ですとインターネットで見たらレッドソックス球団公認のオフィシャルのユニフォームだとUSダラーで160ダラーもするんですけどテピートでオーダーすると400メキシコペソくらいで作ってくれるんです。
400アステカ・ペソは今の円独歩安で円が安く成っちゃったレートで計算しても2521円ですから安いんです。
城太郎のお父(おとう)は広島県の呉市出身だったんですけど城太郎のお父のお父(って言う事は城太郎のじいちゃんなんですけど)は長男だったから広島に残ったらしいんですけど次男の人が明治時代にアメリカに出稼ぎに行ったらしいんです。
その人の息子さんのアメリカ生まれの日系二世の人が2000年に亡くなったんですけど城太郎にとっては叔父さんに当たる人だから城太郎は叔父さんを訪ねて何度かキャリフォーニア州のイーストロサンゼルスに行った事があるんです。
叔父さんと叔父さんの娘さんの日系三世のジェーンさんに連れてって貰ってドジャーススタジアムで野球を見たりサンタモニカでアイスクリームを食べたりサンフランシスコに連れてって貰ってケーブルカーに乗ったりフィッシャーマンズワーフでクラムチャウダーとシュリンプボウルをご馳走して貰ったりしたんです。
僕がメジャーリーグベースボールのファンだから叔父さんが「メジャーのジャージーとかキャップなどのグッズを売ってるショップがリトルトーキョーにあるから連れてってやる」って言って『オリンピック』って言うお店に連れてってくれたんです。
日本人のオーナーの人で二世の人じゃなくて日本生まれでアメリカに移民した人らしくて日本語が上手かったから日本語が通じるしドジャースのトーネードのノーモ(野茂英雄)投手のユニフォームとか色んなグッズがあって城太郎は凄く欲しかったんですけど城太郎はペソで商売してるから城太郎には高くて買えないから我慢しようとしたら叔父さんが野茂投手のユニフォームを買ってプレゼントしてくれたんです。
城太郎は広島カープの前田健太投手のユニフォームとかヤクルトスワローズの川崎憲次郎投手のユニフォームなんかも欲しいんですけど日本で買うと高いからテピートでオーダーしようかな🤔って思ってるんです。
パチもんにしては中々良く出来てるし値段が安いから城太郎はテピートでユニフォームを作るんです。
ノートに城太郎が欲しいユニフォームの選手名をたくさん書いてるんですけど少しずつユニフォームを作ってるからそんなに増えないです。
400ペソの服をそんなにしょっちゅう作れないんです。
少しずつ頑張ってます。
↑テピートにあるMLBのユニフォーム屋さんです。
城太郎が着てるのはアナハイム・エンゼルスのジョージ・ヘンドリックス選手のユニフォームです。隣の人は城太郎の地元のダチです。
城太郎が着てるのはレッドソックスの松坂大輔投手のユニフォームです。
隣りのおじさんは知らない人なんですけど野球ファンの人で「デイスケエ・マッツサカア」とか言って話し掛けて来て記念写真を頼まれました。
このユニフォームはティキシース・レンジャースのダルビッシュ投手のユニフォームです。
牛丼のすき家さんの店内です。
このユニフォームはボストン・レッドソックスのクリス・セール投手のユニフォームです。
背番号は41番です。
隣のお姉さんは区役所のお姉さんで城太郎のお友だちです。
城太郎は犬が好きなので犬の方も犬好きな人が判るからいつも犬にしがみつかれちゃうんです。
犬の右の前足が城太郎のあそこを触って来たので「うひゃ〜」って城太郎が言ったらみんなが爆笑した場面です。
ベースボールキャップはテピート以外の地区でも売ってるんですけどこう言うお店の品物は高いから城太郎は買わないんです。
城太郎はバスに乗ってテピートに行って買うんです。
安売り地区のテピートについて
安売り地区のTEPITO( テピート)って言う地区があるんです。
東京の人だとご存知でしょうけど上野駅から御徒町駅に掛けての地区にアメヤ横町(👉アメ横)って言う安売りの地区があるんです。
(↑土方通りからメルセード方面に向かうバス通りがテピートの真ん中を東西に走ってます)
テピートはメキシコシティのアメ横みたいな安売り地区なんです。
アメ横みたいに店舗に成ってるお店は少なくてほとんどが露店の屋台なんですけど地域の規模って言うか大きさはアメ横よりも大きいんです。
テピートの中に何万軒の屋台があるかは城太郎は知らないんですけど凄く大きくてたくさんお店があるんです。
(↑メトロのB号線のテピート駅です)
メトロの駅で言うとテピート、モレロス、ラグニージャ、メルセード、ガリバリディの5つの駅に跨ってる地区で面積が凄く大きい場所なんです。
テピートは人が多くて密な場所なので城太郎はコロナの時代に成ってからは行ってないんですけどメキシコに城太郎が来たばかりの頃からだから35年前から月に2~3回テピートに遊びに行ってるんです。
(↑最初の写真のバス通りをもっとメルセード方面に上った地点でラグニージャ駅の近くです)
Bon Ice(ボナアイス)のアイスクリーム売りのお姉さんが女の子にアイスを売ってる場面です。
(↑バス通りから『中』の方に入った『場内』の様子です)
(↑通路が狭いので流れに沿って歩くコツが要ります)
(↑通路の真ん中に移動販売のおじさんがいて浮島みたいに成ってるのでその左右を上りと下りみたいな感じで一方通行の人の流れになってます)
このおじさんのお店も美味しいです。
このお姉さんも城太郎のお友だちです。
上の写真の人たちは城太郎の顔見知りの人たちでお友だちの人たちです。
テピートにはテレビやオーディオ機器とか洗濯機とか冷蔵庫などの電気製品やジーパンやTシャツとかスニーカーとか携帯電話とか映画とか音楽ビデオなどのDVDとか化粧品や煙草とか何でも売ってるんです。
麻薬類とかグロック17とかベレッタ92Fとかの拳銃とかAK47とかAR15などの自動小銃なんかもUnión Tepito (テピート連合)の組員の人に言えば何でも買えるんです。
メキシコシティの下流の庶民はデパートとか高級なブティックみたいなお店の物は値段が高くて買えませんから靴でも服でも全部テピートで買うんです。
城太郎の着てるファッションのワードローブは野球帽とMLBのユニフォームと米軍のBDUの迷彩パンツとかスニーカーまでの全部のアイテムがテピートで買った物ですから頭の先から爪先までテピートなんです。😆
僕たちメキシコの下流の庶民から見たらテピートは安売り地区って言う意味しか無いんですけど日本人社会って言うか在留邦人の人たちから見たテピートは『マフィアが支配する麻薬汚染地区で殺人事件が多くて危険な地区』らしいんです。
城太郎は昔35年前にナティビダスって言う所にあるビリヤード場で知り逢ったメキシコ人の友だちにテピートの事を教えて貰ったんです。
その友だちも下町の庶民だからテピートの事をメキシコ人の中流階級の人とか高級地区に住んでる日本人たちが怖がってると言う事を知らないで自分たち庶民の感覚で城太郎に教えてくれたんです。
今考えて見たら、(たぶん)『盲(めくら※差別用語)、蛇に怖じず』って言う感じだったんですけど城太郎は1人でテピートに行ってみたんです。
そうしたら城太郎が好きそうな感じの面白いTシャツは1杯あるしミリタリーショップの屋台もたくさんあるしMLB(メジャーリーグベースボール)のユニフォームを売ってるお店もたくさんあるしボクシングとかプロレスのDVDとかTシャツを売ってるお店とか城太郎が好きそうな物がたくさんあったから城太郎はテピートにハマっちゃって通い込んだんです。
城太郎は自分でも何でだか理由が良く判らないんですけど所謂(いわゆる)『どこに行ってもアウェイに成らないタイプ』なので城太郎はどこに行っても馴染んじゃうから初日からお友だちがたくさん出来たんです。
テピートのお店の人たちはおじいさんから子どもに子どもから孫にお店を継がせてるんです。
城太郎には先代の親父さんの代からの付き合いで2代目の大将ともお友だち付き合いをしているような人たちが何人も居るんです。
テピートの人たちが職住接近で近くに固まって住んでる団地のアパートがあるんですけど商品倉庫兼住居のテピートアパートの自宅に招かれたりしてご飯をご馳走して貰うようなマブダチの人が何人か居るし30年も通ってますから顔見知りのお友だちも多いんです。
テピートに買い物に来る人たちの懐を狙って他所の地区から掏摸(スリ)とか強盗が来るんですけど城太郎の場合は何かあったら顔見知りの人たちの掩護を期待出来るって言う事もあるんですけど城太郎が醸し出すジモッティ感が強盗の人たちに(コイツは見送って他のタマを行くか🤔)って思わすのか何だか判らないんですけど城太郎はテピートに行っても問題は無いみたいなんですけどテピートは密に成るからコロナの病気が怖くて近頃はあまりテピートに行ってないんです。
この間、城太郎は城太郎の奥さんのウメ星デンカさまと娘のグーグーガンモとテピートに行って来たんですけど密で怖かったです。
テピートの商品は服でもスニーカーでもパチもんのクローンなんですけど安いしパチもんにしては良く出来てるから城太郎はテピートが好きなんです。
城太郎は高校2年の時に京王閣だったか西武園だったか忘れちゃいましたけども同級生のTくんに手ほどきを受けて競輪場に行って競輪の博奕を打つように成ったんです。
競輪場の中で食べるコロッケとか串カツなんかのおやつが美味しかったんです。
何でだか理由は良く判らないんですけど城太郎はああ言う汚い所(って言ったら失礼ですけど)の屋台で食べる味が美味しくて好きなんです。
テピートの中の屋台も美味しいです。
高級地区に住んでる日本企業の社員の人とか旅行者の人でもNHラリー(エネ・アーチェ・ラリー)とかホテル・シェラトンなんかに泊まるような人はテピートのパチもんの話なんかは関係ないんですけどバッパー旅行の人でペンションアミーゴとかに泊まるような人だと安くて品物がそこそこ良いテピートに行ってみたいと思う人も居るかと城太郎は思うんですけど日本人の雰囲気が強い人だと危ないかも知れないんです。
どうなんですかね?🤔
メキシコ人の下町の庶民の人と一緒に行けば強盗に襲われないのでは🤔って城太郎的には思うんですけど良く判りませんから、もしテピートに行く人は自己責任でお願いします。
テピートに行った場合は写真を撮るとトラブルに成りますから写真は撮らない方がいいと思います。
テピートで働いてる人たちは働き者なんですけどケンカっ速い根性者の人が多いんです。
テピート生まれのテピート育ちの人たちはケンカっ速い人たちなんです。
城太郎はお友だちって言うか仲間みたいに思われてるから写真撮影を許されてるんですけどポッと出の他所者の外国人が写真を撮ったりすると危ないですから気を付けてください。
城太郎がテピートに行く場合は上の写真みたいなテキ屋バスで行くんです。
城太郎が住んでる町は空港の近くなんです。
『土方通り(calle arbañires)』って言う幹線道路が空港からテピートまで走ってるから城太郎はバスで行くんです。
値段が安いテキ屋バスはテピートの中まで入らないで入口の前で停まるから歩かないといけないんですけどお店を見ながら歩くのも楽しいです。
画面奥がテピートです。
運賃の値段が高い大型バスはテピートの中を走ってメルセードまで出ます。
この地区は1通逆走が当たり前の地区です。
写真のバイクの2ケツの人たちはノーヘルの上に1通逆走ですから日本だと凄いアウトローの人みたいに成るんですけどテピートでは当たり前の行為です。
メトロのテピート駅の入口は周りをビッチリ屋台のお店に囲まれていてお店の中に駅があるみたいな感じです。
テピートの中は露店商の人たちが商品補充とかの用事でバイクとか車で狭い通路を走ります。
日本と違って車優先です。
「¡Va Diablo!」ってテピートの露店商の人たちが言う定番のセリフがあるんです。
直訳すると「悪魔が行くぞ」って言う意味ですけど「退(ど)いた、退(ど)いたあ」って言う感じです。
(俺さまのお通りだから退けや)って言うフィロソフィーみたいです。
台車で商品を運ぶ人も多いです。
このお姉さんは城太郎のお友だちの人でアイスクリームの移動販売の人です。
隣のゼリー売りの頭が禿げたおじさんも城太郎の顔見知りのお友だちの人です。
城太郎が写真を撮るといつもおどけた感じのひょうきんなポーズを撮って他の人よりも目立とうとする面白い人です。
カメラに撮られるのを銃で撃たれたみたいな感じに表現して「撃たれた、やられたあ、もう駄目だあ」みたいな感じの演技をしてる場面です。
このお姉さんの屋台は味が美味しいです。
このおじさんのお店でDVDを城太郎は良く買います。
メキシコのBillar(ビジャール)について
(↑この人はビリヤード場の従業員の女の子です)
スペイン語でBillar (ビジャール)って言うのはビリヤードの事なんです。
(↑この人は城太郎の奥さまのウメ星デンカさまです)
(↑城太郎の孫娘のジズです)
日本やアメリカやフィリピンや台湾などで競技人口が多いポケットにボールを入れるポケット式ビリヤードはPool(プール)って言うんです。
(↑練習中の城太郎です)
テーブルに穴が開いてないビリヤード台を使って自分が撞いた手球を2つの的球に当てる事で点数を競うビリヤードの事をキャロムビリヤードって言うんですけどもスペインとメキシコなどのラテンアメリカ諸国と韓国ではキャロムビリヤードの競技人口が多くてプールビリヤードはあまり行なわれてないみたいです。
Billar Carambola (ビジャール・カランボーラ)とかあるいは単にカランボーラってスペイン語では言うんですけどもこの競技が盛んな国はメキシコ、韓国、コロンビアの3ヵ国です。
ビリヤード場の数とスリークッション台の台数が多い順番なんですけどもメキシコが世界で1番ビリヤード場が多い国でスリークッションテーブルの数もメキシコが世界1多い国なんです。
城太郎が住んでるメキシコシティに何百軒のビリヤード場があるのか恐らく誰も知らないはずなんですけど世界で2番目にビリヤード場が多い都市の韓国のソウルの何十倍もメキシコシティにはビリヤード場があるからビリヤード場の数の上でも1番なんですけどビリヤード場の店舗が大きくて1軒のビリヤード場に平均してスリークッション台が大体20台くらいあるのでスリー台のテーブルの数もメキシコが世界1多いんです。
(↑コロンビアのボゴタで行なわれた世界選手権の時のリー・サンチュン選手です)
上の写真は韓国人で初めて世界チャンピオンを獲得した故リー・サンチュン(李商天)選手なんですけどもリー・サンチュン選手が世界チャンピオンを獲った事に拠って韓国のキャロムビリヤード熱が上がって国技に成ったみたいです。
李商天選手は米国に渡る前のまだ韓国に居た時代に韓国代表の招待選手として全日本選手権に何回か出場したんですけどその時代は小林伸明先生、小森純一先生たちがまだバリバリの時代でしたから李選手は勝てなくて10位くらいだったんですけど米国に渡ってから強く成ったみたいです。
エディ・ロビンス選手やカルロス・ハーロン選手などの米国選手を指導した大村先生に李選手も指導を受けたのではないかと思います。
(↑写真は日本人初の世界チャンピオンの故小林伸明先生です。コロンビアで行なわれた世界選手権の時に写真を撮らせていただきました)
リー選手がBWAワールドカップグランプリの世界チャンピオンを獲ったのが1993年だったか何年だったか城太郎は今良く覚えてないんですけども1990年代は韓国のプロ選手よりも日本のプロ選手の方が強かったんですけど2000年代に入ってから韓国選手が凄く強く成って来て今は立場が逆転してるみたいです。
ソウルもビリヤード場が多いんですけど店舗が小さくて1軒のお店にスリー台が8台くらいしか無いお店が多いみたいなんです。
城太郎は韓国に行った事がないので良く知らないんですけど韓国にビリヤード旅行に行った人から聞いた話では韓国のビリヤード場は小さいらしいんです。
メキシコの場合はスリー台が14台くらいしか無いお店が小型店でスリークッションの台が30台くらいのお店が大型店なんです。
但し大型店の場合はボーリング場みたいな感じの若者向けのレジャー施設的な商売だから高点者とかの上手い人が居ない所謂(いわゆる)素人店です。
このお店は近頃城太郎が練習しに行ってるビリヤード場でスリー台が14台の小型店です。
撞点は右捻りで城太郎の場合は若干引き球に成るように少し下目を撞きます。
第2クッション目でリバースの捻りに成るのでこう言った変わった動きを手球がするんです。
スリークッションゲームと言うのは上の図みたいに手球を撞いて2つの的球にヒットさせるまでの間に手球を3回以上クッションに入れてから2つの的球に当てると言う競技で非常に難しいゲームなんです。
上の図の球は球クッションのカーブを利用した裏廻しですけど第2的球の受けが大きい場合は城太郎はこの取り方を良くします。
メキシコシティのビリヤード場の状況について説明しますとオランダ製のフルホーブンだとかデンマーク製のソレンソガードだとかフランスのシュビロットなどの日本でもお馴染みのいわゆる定番のテーブル以外にトルコ製のZEKİ BiLARDOとかギリシャ製のSivissidisなどの世界各国のスリークッションテーブルがあるんです。
メキシコ人がビリヤード好きな為にビリヤード場の商売はメキシコでは儲かる商売なんです。
ビリヤード場のオーナーはみんなベンツとかボルボとかBMWなんかに乗ってるんです。
(↑世界チャンピオンのフレデリック・クードロン選手です。メキシコに来た時に写真を撮らせていただきました)
この写真は世界チャンピオンのクードロン選手ですけどメキシコではビリヤードが盛んなので外国から有名な選手が来るので城太郎たちみたいなビリヤード基地外にはメキシコは凄くいい国なんです。
クードロン選手はスリークッションだけでなくカードルやバンドゲームでも世界チャンピオンで恐らく今世界で1番ビリヤードが上手い人だと城太郎は思います。
メキシコ人にとってのスリークッションビリヤードは日本人にとっての麻雀とかゴルフ以上にポピュラーな物でメキシコ人の成人男子の恐らく99%くらいの人は上手く撞けるかどうかは別としてスリークッションのビリヤードを撞く事が出来るんです。
城太郎は元からビリヤードが好きだったからメキシコに来たばかりの時からメキシコシティの色んなビリヤード場に行ってグアダラハラとかサカテカスだとかベラクルースとかの他の州のビリヤード場にも行ったんです。
メキシコは階級社会だから普段ですと弁護士とか医者の先生みたいな中上流階級の人と水の配達の人みたいな経済的に下流の人はあまり交わらないで交流しないんですけどビリヤード場だけは唯一メキシコ人が階級の垣根を取っ払って交流する場所なんです。
ビリヤード場の中ではたとえ水の配達の人でもビリヤードが上手い人が偉くてみんなに尊敬されるからです。
UNAM(メキシコ国立自治大学)の歯学部の教授で日系人のフィデル・ヒラタ先生と城太郎しかメキシコのビリヤード界に日本人は居ないんですけどヒラタ先生はメキシコ生まれのスペイン語ネイティブのメキシコ人ですから純粋のハポネスは城太郎1人なんです。
メキシコのビリヤード場はあらゆる階層のメキシコ人が来るので城太郎は色んな人と知り逢えて人脈が広がりました。
弁護士とか医者とか税関職員とか会計士とかPGJ(司法警察)の私服刑事の人とかテレビ局のカメラマンの人とか露天商の人とか水の配達の人とかタクシー運転手の人だとかバールのバーマン(バーテンダー)の人とかブティックの店長とか売春宿の経営者とかミュージシャンの人とかハンバーガー屋の親父さんとか色んな人と知り逢えたんです。
城太郎もビリヤード場で知り逢ったエドゥワルドと一緒にビジネスをしたりエドゥワルドからメキシコ式のナンパのやり方を教わったりしたんです。
だから城太郎的にはメキシコに来る日本人の人でビリヤードが出来るとかなり得な気がします。
ビリヤードはやはり面白いです。
(↑アーティスティックビリヤードの世界チャンピオンのシャビエル・フォネジョッサ選手です。バルセロナのビリヤード場で写真を撮らせて貰いました。サインの宛名のJesúsは城太郎のスペイン語名です)
上の写真はスペインのビリヤード場で撞いてる人は世界チャンピオンの人なんですけどもマッセでボールが信じられないような動きをして思い通りに球が当たる快感を覚えちゃったらビリヤードから抜けられなくなるんです。
城太郎はいつも思うんですけどビリヤードって、こんな面白いゲームを誰が考えついたのかな🤔って思うんです。
ビリヤードってクレオパトラの頃からあったらしいんです。
エジプトの人が考えたんですかね🤔
今まで世界中でビリヤードにのめり込んで人生を狂わした男たちがどれくらい居たのかなあ?🤔って言う事も城太郎は考えるんですけど恐らく相当な人数だと思うんです。
たかが球撞き、されど球撞き...
『撞球とは何かと言う問い掛けは人生とは何かと言う問い掛けに少し似ている』
ビリヤードはやっぱり面白いです。
メキシコのBaile(踊り)について
こんにちは、城太郎です。
今回はBaile (バイレ)について書きます。
Baileって言うのは英語のDanceの意味のスペイン語で日本語で言うと『踊り』の事です。
城太郎が中学生の頃はまだディスコティックって言う物がなくてゴーゴー喫茶の時代で城太郎が高校に入った時くらいにディスコが出来たんです。
城太郎の地元は東京の新宿で大江戸線の東新宿駅の近くなんですけど城太郎が中学生のボンズの時に地元の先輩のお兄さんお姉さんたちに連れてって貰って地元の東大久保とか百人町とか歌舞伎町のゴーゴー喫茶に行って踊っていたんです。
六本木にも行ったんですけど地元の新宿の方が多かったです。
城太郎は中学の時にあまり勉強をしてなかったんですけど中3の夏休み後から慌てて受験勉強をして試験前日に覚えた数学の公式が出題されたり山勘がかなり当たってしまって補欠入学だったんですけど東京六大学の中でも野球部とかラグビー部なんかが凄くてバンカラ系で有名なM治大学の附属高校に補欠入学したんです。
お相撲さんの若花田さんなんかが出た学校です。
俳優の松方弘樹さんは城太郎たちの大先輩で相撲の若乃花、貴乃花兄弟は城太郎たちより後輩です。
男子校だったので城太郎たちみたいな軟派の不良は同級生のダチとナンパ目的で新宿や六本木のディスコの踊り場に行きまくったんです。
硬派の不良の人たちは暴走族とか右翼団体とかヤクザ組織とかの組織に所属してケンカとか暴走とかの『暴れ』の方に頑張って男同士のケンカに夢中に成って城太郎たち軟派は『踊り』と『ナンパ』に頑張って女の子とのセックスに夢中に成ってたんです。
中学の時から踊ってるから城太郎は踊り全般が大体踊れるのでクンビアやサルサやバチャータなんかも踊れるんです。
城太郎の経験から言うとスペインもそうなんですけどラテンアメリカなどのスペイン語圏の国は所謂(いわゆる)踊る民族ですから踊りが踊れないと人間関係が上手く出来ないような気がするんです。
日本人はフィエスタをしませんから日本に住んでる場合だったら別に踊りが踊れなくても問題ないんですけどスペイン語圏に行って住むような人は踊りを踊れないと(駄目って言う事はないんですけども)かなり損ですから日本でスクールに通ってレッスンを受けて踊れるようにしてから行った方が良いのでは🤔って城太郎は思います。
みんなが踊っている時に自分だけ踊れないから「僕は見てます、見学します、見て学ぶと書いて見学です」とか言って見学してても寂しいと城太郎は思うんです。
↑この写真は城太郎が住んでる町の公園でやってる踊りの教室の生徒さんたちのレッスン風景です。
こう言う教室で練習して踊りを覚えてから外国に行った方が城太郎的には良いと思うんです。
ディスコやクラブで流行ってる踊り以外にスペインだったらフラメンコとかアルヘンティナだったらタンゴみたいなご当地踊りも覚える必要があるんですけども一般的にはスペイン語圏の場合はサルサとクンビアとバチャータを押さえておきたい感じです。
メキシコの場合はディスコとかクラブなんかは今ですとEDM系の音楽とレゲトンなんですけどSalón de baile(サロン・デ・バイレ👉ダンスホール)なんかですとクンビア、サルサ、バチャータ、ダンソンとロックンロール・ジャイブなどの踊りが出来るとバッチリです。
日本のディスコだとナンパの最終局面はチークでチークダンスの時に女の子を落としてテルホ♨に連れて行く訳ですけどもメキシコでは女性を落とす『落とし』の踊りはダンソンです。
まあ独身の人は(って言うか別に独身じゃなくてもいいんですけど)男と言うものはやはりガールフレンドとか恋人が必要ですから踊りを踊れないとナンパとかが出来ないからそう言う面で損だと思うんです。
男女の問題以外にも友だちに成った人の家のフィエスタに招かれたりする場合に踊りが踊れて一緒に踊れる方が人間関係が上手く行くと城太郎は思うんです。
今は日本にもサルサやクンビアの踊りを教えてくれる教室がたくさんあるから便利な時代だと思います。
城太郎が初めてメキシコに来た時は城太郎はサロン・デ・バイレでセニョーラをナンパしてメヒカーナのセニョーラとホテルに行ってセックスがしたかったから1人でサロンに行って必死にステップを覚えたんです。
今はそう言う学校が日本にもたくさんあるから便利です。
『Shall we dance?』です。
ダンスが踊れると楽しいと城太郎は思うんです。
このお姉さんは僕たちが住んでる町のFeria (フェリア)のお祭りの時にクンビアを歌って踊ってくれたクンビアグループのお姉さんです。
このお姉さんは踊りにキレがあって踊りが上手いです。
七十路(なそじ)のおじいさんが昔取った杵柄(きねづか)で柔能く剛を制すの技で上手く捌(さば)こうとしたみたいなんですけどパワフルな40代の姐さんに振り回されてフラフラに成ってました。
ボクシングの(特に軽量級の)フットワークと同じでダンスにはフットワークのステップが大切だと城太郎は思います。
こう言うスンバとかの場合はエアロビクス系のエクササイズですからダンスと言うよりもエクササイズなんですけども踊りの要素が入ったエクササイズでリズム感的にもダンスに応用出来ると城太郎は思うんです。
城太郎の経験から言ってもエアロビクスのインストラクターの女の人とか機械体操部の奴らはディスコに来ても踊りが上手かったです。
見るだけじゃなくて一緒に踊ると楽しいです。
流れ流れてメキシコに住んでます
初めまして、城太郎です。
城太郎はメキシコシティの空港の近くのチープな下町に住んでます。
城太郎は今62歳のじじいなんです。
何か良く判らないんですけどいつの間にかじじいに成っちゃってたんです。
娘が1人居て孫が4人います。
城太郎は婿養子だから奥さんの実家に住んでいてスペイン人の気性が激しい奥さんにかなりペコペコしちゃってます。
城太郎はFランク大出なんですけど城太郎がFランク大に補欠入学した18歳の大学1年の時にバッパーって言う言葉は当時はまだなかったんですけど今で言うバックパッカー旅をして日本を飛び出して2年間放浪しちゃったんです。
ドミトリーで同じ部屋に成った人にショバを仕切ってる人を紹介して貰って路上でアクセサリーの売(バイ)をさせて貰ったりして外国でもお金を稼げたので初めの計画よりも長く成って2年も放浪しちゃったんです。
日本に帰って来て城太郎はFランク大学にまた復学して2ダブしたからFランク大学を6年掛かって卒業したんです。
卒業してもFランク大学出だからロクな会社に入れなかったんでしょうけど城太郎もサラリーマンになりたくなかったから就職しないでフリーアルバイターになりました。
城太郎が高校の時にバイトしていた六本木の喫茶店に頼んでまた雇って貰ってサ店のウェイターにまた成ったんです。
城太郎は27歳の時まで日本でクスぼって何とか生きてたんですけど27歳の時に『さよならニッポン』をして日本を飛び出してメキシコに来たんです。
日本にいた時間が27年でメキシコで生きて来た時間が35年だからメキシコの方が長いんです。
城太郎は無計画な人間で将来の計画とかも考えてなくて成り行き任せで生きて来ちゃったんです。
あわあわと毎日を風のように生きてしまって気が付いたら35年も経っていて娘が31歳に成って孫が4人もいるじじいに成ってたんです。
城太郎は出たとこ勝負で生きて来ちゃったから今思えば山あり谷ありの人生だったんです。
今よりも大きい商売(ビリヤード場の商売)をして中流の所にいたんですけど城太郎がメキシコ人のダチの保証人に成ってそいつに飛ばれてしまって儲かっていたお店を取られちゃったんです。
それで今は城太郎は下流に沈んじゃって下町のスラム地区でお金が貧しい人たち相手の小さな萬屋(よろずや)の小商いをしてるんです。
城太郎はバイクとビリヤードが趣味だったんですけど今はじじいだからバイクに乗らなくなって代わりに写真撮影とブログを書くのが趣味に成ったんです。
空港の近くに住んでるから飛行機の写真を撮るのには良い場所なんです。
日本の皆さま、ご自愛くださいませ
かしこ
飛行機の写真を撮るのにはいいです。
城太郎が住んでる町から5本道を越えて歩くともう空港の滑走路なんです。
歩いて7分くらいです。
こんな感じの下町です
城太郎ビリヤードに行って来ます。
これはエールフランスの飛行機です。
日本の全日空の飛行機です。
※プラモデルの写真はネットの人からお借りしました。
飛行機のプラモデルがたくさんあります。
城太郎は747は座席が狭いから嫌いなんです。
城太郎は767の方が座席が広いから好きです。
※プラモデル屋さんの写真はネットの人からお借りしました。
この場所は城太郎の家の近くです。
パイロットに拠って飛び方が違うから飛行機が低く飛んでくれて大きく見える時と高度が高くて飛行機が小さい時があるんですけど飛行機が低く飛ぶ時はいい写真が撮れるから城太郎は嬉しいんです。
※手前のバスは車道に堂々と路駐して車道をガレージ代わりに使用しているバスです。
メキシコシティのベニート・フアレス国際空港は国際線を運用している空港の中では世界1標高が高い所にある空港らしいんです。
標高が高くて空気中の酸素が少ないので燃料の燃焼効率が悪いので離着陸が難しい空港らしいんです。
メキシコ線のパイロットを任されるように成ったら旅客機のパイロットとして免許皆伝の1人前のパイロットと言われるそうです。